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靖康の変と徽宗の妃たち

Categoryその他
僕は世界史が好きです。調べている中で少しだけ理解が深まりました。

靖康の変は1127年、中国で金が北宋を滅ぼした動乱です。北宋末期は国として機能してなく、弱小でした。対立し、戦を繰り返していた金とは戦後の講和も何度も反故にしていたため、金が激怒します。再び金が北宋に攻め入ると、皇帝の徽宗は城外に出て謝罪をしますが、金は許しませんでした。

徽宗をはじめ皇后や妃や皇女も捕虜として金に連行されます。徽宗は幽閉され、皇后や妃たちは金の兵士たちに日常的に輪姦されるようになりました。皇后の一人は凌辱に耐えかねて自殺しています。他の妃や皇女たちは運命として受け入れました。死よりも生きる道を選んだのです。14歳から20歳まで9人の徽宗の妃たちはみんな妊娠します。そして、徽宗に屈辱を与えるために、幽閉先の徽宗のもとに妃たちはみんな送り返されます。

『開封府状』によると、宋の妃嬪83名、王妃24名、皇女22名、嬪御98名、王妾28名、宗姫52名、御女78名、宗室に近い姫195名、族姫1241名、女官479名、宮女479名、采女604名、宗婦2091名、族婦2007名、歌女1314名、貴戚、官民の女性3319名の計11635名が洗衣院に入れられています。洗衣院とは売春宿です。

コンドームもピルもなく、皇女であっても洗衣院にいる間は、産めなくなるまで妊娠を繰り返していたと思います。徽宗に屈辱を与えるために妊娠させられた妃たちがその後どうなったのかまではわかりません。

徽宗の弟で後に南宋を興した高祖の娘は捕虜時、まだ幼女でした。成長後は性奴隷になっています。洗衣院で産まれた子供たちの身分もみんな奴隷だと思います。

当時の女性たちが過酷な運命だと思うのは、兵士たちに快楽の道具として扱われているのに彼女たちにとっては生殖行為でもあるからです。

現在の常識ではコンドームもピルもあります。ママさんたちやユイやリンも運命とか大袈裟な話ではなく、吹っ切れるだけです。みんなセックスが好きで、輪姦も生殖行為を伴いません。ママさんたちやユイやリンも僕ら以外とは輪姦の経験は出来ません。セックスを知り尽くしているつもりのママさんたちもみんな輪姦行為は初体験でした。何時間もの間、続けて絶頂を繰り返しているのは僕らよりもママさんたちです。

「もう無理、身体が持たない」、と言っていてもセックスをはじめるとみんな女として悶え、気を飛ばしながら僕らよりも擦れ敏感になっている粘膜で精液を搾り取ります。過酷な世の中の女性たちとは違うのです。

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