キエフ公女エウプラクシア
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僕は世界史が好きです。ママクラブのような歴史もあると思い少し調べました。キエフ公女エウプラクシアの生誕は1070年ではるか大昔です。キエフ公国は今のウクライナです。
エウプラクシアは美少女として知られ、神聖ローマ帝国のハインリヒ4世はその可憐な容姿に胸を打たれ、エウプラクシアを妃にします。神聖ローマ帝国は今のドイツです。
ところが、キエフ公国と神聖ローマ帝国が対立すると、1092年、エウプラクシアは22歳です。ハインリヒ4世がイタリア遠征に赴くと、エウプラクシアを砦に投獄しました。ハインリヒ4世の性的嗜好もあり、その砦でエウプラクシアは貴族との輪姦パーティに参加させられます。また、黒ミサの一環としてエウプラクシアを輪姦する会がたびたび開催されました。
一年もすると、23歳になったエウプラクシアは誰が父親かわからない子を妊娠します。その後、エウプラクシアは故国に戻り39歳で生涯を閉じます。
避妊が確立されてない時代で、エウプラクシアはキエフ公女で神聖ローマ帝国の妃でした。現在はピルによって生殖行為を伴わないセックスを愉しむことが出来ます。ママクラブのママさんたちも一昔前ならみんなエウプラクシアのようになっていたかもしれません。庶民のほうが圧倒的に多いですし、僕が少数派と言っても、母性と快楽の狭間という性的嗜好は大昔から普遍のはずです。
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